【語釈】 　星落　：　中国三国時代の蜀の名軍師諸葛亮孔明（181～234）の死を暗示する。 　　　　　　孔明が五丈原の地で病没した時、赤色の大星が落ちたという。 　五丈原：　陜西省渭水の南にある原野。 　　　　　　孔明が魏の司馬懿との戦いに勝利した後、軍を置いた場所。 　祁山　：甘粛省西和県の北西の地。孔明はここで六度魏と戦った。 　蜀軍　：この時孔明の主君蜀王劉備はすでに薨じていた。 　鼓角の音：太鼓と角笛の音 　丞相　：宰相（大臣）の異称。孔明の役職。 　高眠　：志を高く持し、世俗におもねらない生き方。 　君が三たびの音づれ：いわゆる「三顧の礼」。蜀王劉備が孔明の陋屋を三度訪れて軍師に迎えたという有名な故事を指す（三国志） 　羽扇綸巾：鳥の羽で作った扇と綸子で作った頭巾。孔明の常の姿であった（綸巾はカンキンとも読む） 　銀漢　：銀河（天の川） 　青史　：歴史。古く紙のない時代に青竹の札に史実を記録した事からいう。 　管仲楽毅：管仲は桓公を助けて天下を取らせた斉の賢相。 　　　　　　楽毅は戦国時代の燕の昭王の猛将で五か国の兵を率いて七十余の城を攻め落としたという。 　伊呂の伯仲：伊は殷の伊尹、呂は周の呂尚（いわゆる太公望）。この二人の賢人にも引けを取らないという意。伯仲は長兄と次兄という意で、そう差のないことをいう。 　萬古の霄の一羽毛：永遠の時間の空を飛ぶ一羽の鳥。孔明の比喩。 　千仞翔くる鳳の影：千仞の高低を飛び上がり翔け下りる鳳の姿。 　草盧にありて龍と臥し：草の庵に雌伏していた時は臥龍として世を窺い。

【大意】 　祁山から吹く風が更け、露がしとどに下りたここ五丈原に軍を敷く蜀軍の陣地には力なく旗が垂れ、鼓笛の音も聞こえない。丞相の死が近づいた。（中略） 　君が世に隠れていた時はそう長くはなかった。篤信で知られた劉備玄徳が三顧の礼をとって懇望した恩義に応えついに草案から出たその朝も、いつもながらの羽扇綸巾を靡かせていた。（中略） 　ああここ五丈原に星がきらめく夜、君は今無限の縁に立つ。功名は夢のごとく散っても、その誠の心は永久に消えない。 　今ここ五丈原に最後の時を迎えて、尽忠一筋のその生涯の成否を天に任せ。その魂魄は肉体から離れる。 　君よ、むしろ死の定めを天に謝せ。歴史を紐とけば、管仲や楽毅も何のその、伊尹と呂尚にも引けを取らない。その勇姿は万古の空に羽ばたく鳳に異ならず、天と地の間、千仞の距離を一挙に飛翔する。 　かって草庵に伏していた臥龍も、ひとたび天下に立って飛竜となった。 　千年後の今もなお命名を留めるその人の名は、諸葛亮孔明。

【作　者】土井　晩翠（どい　ばんすい） 　（1871年12月5日（明治4年10月23日） – 1952年（昭和27年）10月19日） 　仙台北鍛冶町の質屋土井（つちい）林七の長男として誕生、詩人、英文学者。本名、林吉）。 　姓は元は「つちい」だったが昭和9年以降「どい」土井と名乗った。 　男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村と並んで「藤晩時代」と称された。 　28歳で第一詩集「天地有情」を刊行し、詩人としての盛名を確立した。 　また、瀧廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られ、校歌・寮歌なども多く作詞した。　戦陣訓の文校正でも知られる。 　昭和22年、詩人として初めて文化勲章を受賞した。

【土井晩翠 星落秋風五丈原】第7段解説 　 群雄次第に　凋落し、 雄圖(ゆうと)は鴻(こう)の　去るに似て 山河幾とせ　秋の色、 榮華盛衰　ことごとく むなしき空に消行けば 世は一場(いちじょう)の　春の夢。 野心に燃えた群雄が、各地に跋扈するも、起こっては倒れ、倒れては起るを繰り返し、まるで、渡り鳥が秋になれば飛び去る如く、山河は強者共が夢の後といった情景だ。 そういった繁栄と衰退の攻防も、全て併せて、時を経て見れば、これ全て、一場の春の夢・幻なのか。 或いは、凄惨極まる戦いの後の、太平の世の中なのか。 <メモ> 『天地有情』におさめられた晩翠の詩。蜀漢の丞相・諸葛亮孔明を主題にすたえた長大な叙事詩である。

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