遊岳の詩吟うん蓄

 

7言絶句  「偶 感」 と 西郷南洲


   偶 感    西郷南洲

    幾たびか辛酸を経て 志始めて堅し
    丈夫は玉砕するも 甎全を愧ず
    我家の遺法 人知るや否や
    児孫の為に 美田を買わず


  〔詩形〕 七言絶句
   〔脚韻〕 堅・全・田   〔押韻 上平声先韻〕

【語 釈】
   偶 感    題が「偶成」「感懐」となっているものもある。
   幾 歴    何度か経験を重ねる。「歴」は「経」と同じ意味。
   辛 酸    はなはだしい苦しみ。
   始      ~してはじめて。
   堅      堅固
   丈 夫    成人した男子。
   玉 砕    玉のように砕ける。義を守るためにいさぎよく死ぬ。
          「北斎書・元景安伝」に「丈夫は寧ろ玉砕すべきも瓦全する能はず。」
          とある
   愧       「恥」になっている本もある。
   甎 全    瓦のように価値のないものとなって無駄に長生きする。
          「瓦全」と同じ意味。
   我 家    「一家」となっている本もある。
   遺 法    子孫に残しておく決まり。「遺事」となっている本もある。
   人知否    世間の人は知っているだろうか。
           「知否」は肯定形と否定形を重ねることによって疑問形にする用法。
   不 為    この文の構造は、「不」は「買」という動詞を否定する。
          即ち美田は買わない。
          「為児孫」は「買」にかかる副詞的修飾語になっている。
   美 田   立派な田地田畑、ひいては財産。


【作 者】西郷 南洲(さいごう なんしゅう)

 本名を西郷 隆盛(たかもり、旧字体: 西鄕隆盛)通称:吉之助、号: 南洲)という。文政10年12月7日(1828年1月23日)- 明治10年(  1877年)9月24日)の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。

 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。名(諱)は元服時 には隆永(たかなが)、のちに武雄、隆盛(たかもり)と改めた。幼 名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変えた。号 は南洲(なんしゅう)。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の 章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名 を届けたため、それ以後は父の名でもある隆盛を名乗った。
 維新の際、江戸総攻撃を前に勝海舟らとの降伏交渉に当たり、幕府側 の降伏条件を受け入れて、総攻撃を中止し、江戸無血開城に成功。
 明治新政府の参与と也、元帥兼近衛都督となったが征韓論に破れて下 野、郷党の教育に当たり、西南の役に没し城山で自決した。
   


【通 釈】
 何度かの辛苦艱難を重ねて始めて意思が堅くなり、不撓不屈の精神が宿るのである。
 男子は、たとえ玉として砕けてしまう結果となっても、瓦として命を永らえることを恥じなけ ればいけない。~命はいらない~
 我家には、代々守るべき遺法のあることをお前たちは知っていないだろうが、それは子孫のた めに 立派な田畑などの財産を残すことをしないということである。~金はいらない~

【参 考】
 南洲翁遺訓には人生訓が数多くあり、旧庄内藩士にこの詩を示し「若し此の言に違いなば、西 郷は 言行反したるとて見限られよ」と言ったという、
 起承句で作者自身の体験から得た「人は苦労してこそ立派な人物になれる」という強い人生観 が述べられ、転結句で質素を旨とし、子供に対する教育方針を述べ「人知否」「不為」でより 際立たせている。
   作者の鉄石の信念があふれた作。
  
【詩の心】
  起句「いくたびか」の「く」無声音に気をつける。
  承句「丈夫」の引き止めは長くしない。
  「玉砕するも」の余韻の落としは短く、転結句で作者の思いを表現したい。
 
 結句の「児孫の為に 美田を買わず」との作者の思いを伝えたい
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