不識庵機山を撃つの図に題す 賴 山陽 鞭聲肅肅夜河を過る 暁に見る千兵の大牙を擁するを 遺恨なり十年一劍を磨き 流星光底長蛇を逸す |
|
【頼 山陽】 大阪生まれの江戸後期の儒学者で、詩人でもある。 うつ病を患って出奔し、自宅に数年間幽閉された時に、 読書や代表作となる「日本外史」の執筆に専念した。 その後京都で開塾して名をあげ、各地を巡って多くの詩文 を残した。 景勝地として有名な大分県の耶馬溪という地名は、頼山陽 がこの地を訪れた時に詠んだ漢詩に由来している。 史論家としても有名で、幕末の志士たちに大きな影響を与 えたと言われる人物である。本居宣長とも親交があった。 |
【詩の心】 上杉謙信の軍は馬にあてる鞭の音もたてないように静かに夜に乗じて川を渡った。 武田方は、明け方川霧の晴れ間から上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然面前に現れ たのを見て驚いた。 しかし、まことに残念なことには、この十年来、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす 刃がキラツと光る 一瞬の差で強敵信玄を打ちもらしてしまったことだ。 不識庵は上杉謙信、機山は武田信玄である。 「ベンセイシュクシュク」は、詩吟の定番であり、真髄でもある。 詩吟を知らない人でも、また日本人の多くの人がこの漢詩だけは聞き覚えがあり知っている と思う。日本漢詩紀行(渡部英喜著)の中の中部の「うた」の一つでもある』と、詩吟の恩 師である伊藤岳寶先生も会誌の巻頭言の中で述べられていたように、これは頼山陽のあまり にも有名な漢詩『題不識庵撃機山図』である。 平成21年のNHK大河ドラマ「天地人」で、上杉謙信に仕え薫陶を受けた武将 直江兼続 を主人公にして謙信の居城である春日山城を舞台に放映されているが、時代はこの川中島の 合戦より10年程後遅れた、武田信玄亡き後のことである。 【川中島へのアクセス】
起句は、上杉軍の大軍が夜霧につつまれて川を渡る情景を |