遊岳の詩吟うん蓄

 

5言絶句  「漫述」と 佐久間象山


      漫 述   佐久間象山

 
謗る者は 汝の謗るに任す
   嗤う者は 汝の嗤うに任す
 天公 本 我を知る
   他人の 知るを覓めず


〔詩形〕五言絶句
〔押韻〕上平声支韻・嗤・知

【語釈】
  漫述 :とりとめのない言葉。漫言、漫語も同じ
  謗る :そしる。悪口をいう。
  任  :まかせる。勝手にさせておく。
  嗤う :あざわらう。
  天公 :天の神様。
  不覓 :求めない。・・・してもらおうとしない。
   

【通釈】
  謗る者は存分に謗るがよい。あざ笑う者は思いっきりあざ笑うがよい。
 謗るも嗤うも君たちの勝手にさせておこう。天の神だけは、わたしの私心のないこと知っているはずであるから、他人に理解してもらおうなどとは思わないのである。

【作者】  佐久間 象山[1811(文化8年) - 1864(元治元年)]
  江戸時代後期の松代藩士(現在の長野県)の人。名は啓、字は子明、象山と号した。
 佐藤一斎に朱子学を学び、のち蘭学・砲術を学んだ。
 江戸木挽町に塾を開き、兵学・砲術を教授し開国論をとなえて攘夷論者に暗殺される。

「漫述」とは謙遜の言葉であって、むしろその深い信念をいったものである。

 
象山のその信念とは
「謗る者は謗れ、嗤う者は嗤え」とは象山にしていえる言葉で
あって我々が軽く口にすべきものではないことを肝に銘じたい。
この詩は安政元年(1854)4月、門人吉田松陰が米国船によって密航を企て、
未遂に終わった事件に連座して投獄され7か月にわたる獄中で思索したことを、
出獄後に書した「せいけん録」の中の漫述と題する二種の中の一首である。