徳川家康概要

家康の画像
家康の画像-徳川美術館

家系は三河国(現在の愛知県東半部)の国人土豪・松平氏。
幼名は竹千代。通称は次郎三郎、後に蔵人佐。
諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)、次いで元康(もとやす)と名乗るが、
今川氏から独立した際に家康と名乗る。

近衛家に系図作成を依頼し、勅許の上、永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。
本姓は源氏や藤原氏を称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、
天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。

竹千代
NHK大河ドラマ

幼少期を織田氏ついで今川氏の下で人質として過ごす。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いでの今川義元の討死を機に今川氏から独立して織田信長と同盟を結び、三河国・遠江国に版図を広げる。
信長が天正10年(1582年)に本能寺の変において死亡すると天正壬午の乱を制して甲斐国・信濃国を手中に収める。
信長没後に勢力を伸張した豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで対峙するが、後に秀吉に臣従。
小田原征伐後は後北条氏の旧領関東への転封を命ぜられ豊臣政権下で最大の領地を得る。
秀吉晩年には五大老に列せられ大老筆頭となる。
秀吉没後の慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いにおいて西軍に勝利。

徳川家康公


慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任命され武蔵国江戸に幕府を開く。
慶長20年(1615年)に豊臣氏を滅亡させ、日本全国を支配する体制を確立し、安土桃山時代が終結した。

家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は後に幕藩体制と称され、264年間続いた江戸幕府の祖として「神祖」・「烈祖」などとも称された。